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千葉県に難読地名が多い理由は?

千葉愛溢れる、シュロの木のマイコです。千葉に来て5年というまだまだ新米千葉っ子ですが、越してきた当初はどこへ行っても地名が読めず苦戦しました。

 

茂原(もばら)、八街(やちまた)、土気(とけ)、海士有木(あまありき)不入斗(いりやまず)、夷隅(いすみ)、粟生野(あおの)…身近な地名でもまだまだあります。

 

なんでこんなに難読地名が多いの!?これから話すのはなんの裏付けもないお話なので、面白半分聞いてもらえれば幸いです。

 

なぜ千葉は小藩が多かったの?

 

少し本題と逸れますが、千葉ってものすごく小藩が多かったのです。なぜでしょうか?

千葉は江戸時代、大都市「江戸」を支える豊かな穀倉地帯として、飛躍的に発展しました。それにより豪農や豪商が誕生し、力を持っていきました。

 

そんな肥沃な地域であり、江戸の目と鼻の先に、もし石高の大きい大藩が出来たら?幕府にとって脅威でしかありません。幕府は、藩を小さく分けることで大名たちの力を削ぎ、さらには腹心である本田忠勝に大多喜城を守らせることで、この豊かな穀倉地帯に目を光らせていたのです。

 

難読地名は隠密の目をくらますため!?

 

そんな豊かな米どころであるがゆえに、お役人様の年貢の取り立ては厳しいものであったと想像できます。千葉の田んぼには「島」が点在しているのですが、これもお役人の測量の目をごまかすためではという話もあります。

 

もしかすると、千葉の難読地名はお役人や隠密、いわゆるよそ者をあぶりだすためのトラップだったのかもしれません。そうやって想像すると少しワクワクしますね。よそ者が「粟生野」を読めなくて、してやったり顔の地元のおじさんたちを想像すると、、笑

 

ちなみに、読めればいいというものではありません。例えば私が住んでいる「清名幸谷」。「せいなごうや」が正解なのですが、「せいな/ごうや」ではなく、生粋の地元民は「せい/なごや」なんです!なごや!?奥が深いです。

 

田んぼの中の「島」

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